20分で解決!不定詞の意味とその使い方(例文と練習問題、解説つき)

トムたちは、新宿の街をぶらぶらと歩いています。今日は日曜日です。
ボブがふいに「オレ、映画がみたいな」と二人に言いました。

メアリーは「私、日曜日は、日本語を勉強しに妹と神田まで行っているのよ。新宿駅で妹に会う約束があるの。映画をみる時間がないな」でした。トムはO K です。

上の会話はどう言うか?

まず、「映画がみたい」から。

「映画がみたい」の「たい」は、英語では、「~ したい」という意味の動詞‘ w a n t ’ であらわす、と前にいいました。
だから、この「みたい」は、英語式にすると「みることがしたい」と言っていることになります。

「行きたい」「買いたい」その他、「~ したい」は何でもそういう形でとらえます。「行く
ことがしたい」「買うことがしたい」… … です。

ボブのセリフを「オレ、映画をみることがしたい」になおして、スタートです。

A パターンの文は、「何が、する、何を、… … 」ですね。「オレ、車がほしい」だけなら「何を」の欄は「車」だけです。“ I want a car. ” です。

「オレ、映画をみることがしたい」は、かんたんにすれば「オレ、したい、これこれを」と見えますね。だから、欄ごとに区分すれば、「オレ、したい、〈映画をみること〉」となります。

一つにまとまった〈映画をみること〉は、上の「車」と同じ役目をしているから、ひとまず「一つの名詞」と見ておきます。

「何を」の欄には名詞が入りますからね。
英文の構造理解


このY のしくみを考えるには、次の二つがポイントです。

( 1 ) 「親文」・「子文」の二つのフレーム
文のフレームは、動詞が具体的に取り仕切りますね。動詞が出てくれば、必要な欄が整います。

Y の動詞は「したい」です。ところが、「何を」の欄にも「みる」という動詞があります。
そうすると、「何を」欄の中だけに限定する形で「みる」フレームがあらわれます。「みる」って、「だれが? 何を? 」という一つの文フレームがそこにできるのです。

「オレ、映画をみることがしたい」という全体の文を「親の文」( 略して「親文」) としましょうか。その「親文」の中に「だれかが映画をみる」という「子どもの文」( 略して「子文」) が入り込んでいるのです。

親の「したい」フレームは、「親文の中の欄はちゃんと用意できているか、それぞれの欄は具体的にちゃんと埋まっているか」を見張ります。子どもの「みる」フレームは、同じように「子文の中はちゃんとしているか」を見張るのです。

「子文」とはいえ、「だれかが映画をみる」は、それだけを見ればA パターンです。その中の順番は、「だれかが、みる、映画」です。

図にしましょう。
1つの文の中に2つの動詞があるパターン

この説明、一カ所だけ不自然でしょ? 「子文」の中の「だれかが」のところです。その問題が次の( 2 ) です。

( 2 ) 「みる」とは、だれの行動か?
「子文」の中を「だれかが、見る、映画」と一応はしておきましたが、この「みる」はだれの行動でしょう? これは、大学生でもよくまちがえる問題です。

「オレ」の行動、と思いますか? もちろん、もうすぐ「オレ」もその行動をするでしょう。しかし、ここはちがうのです。

「子文」が言っているのは、特定の人の行動ではありません。

だれだって、「映画をみる」ことはしますね。そういう一般の行動のことだけを言っているのです。ボブは、それを自分もしたい、と言ったのです。

( 1 ) の説明が不自然に見えたのは、「子文」の中に主語「だれか」が入っているからです。ボブ以外のだれかが映画をみるのかな、と見えてしまいます。

ここは、主語を言ってはいけません。「一般の人が」なんてことばを主語にしてもいけません。「オレ、一般の人が映画をみることをしたい」では、不自然さが消えません。

「これは、一般の行動だよ」と断るだけでいいのです。「行動」だけを言うのです。

したがって、「子文」の中は「みる、映画」だけです。結局、次のようになります。
不定詞の構造理解

この「子文」は、正確には、「文」の資格をもちません。主語を言えませんからね。そういうことがわかった上で「子文」としておきますよ( あとで、主語のある「子文」が出てきます)。


to + 動詞原形、to不定詞について

上の図にしたがって、そのまま英語にすれば、“ I want see a movie になりますね。ところが、これだと、「親文」の動詞が二つあるように見えます。

フレームの威力で、これでも通じることは通じます。聞き手のほうで、‘ w a n t ’ につづく‘ s e e ~ ’ は「何を」欄の「子文」だろう、と見てくれるからです。しかし、「子文」としての宣言
があったほうがいいですよね。

「映画をみること」をひとまず「一つの名詞」としておきました。日本語も、「みる」ではなく「みること」という名詞の形になっていますね。英語も同じ工夫をします。

それなら、前にいった動名詞( ~ すること) を使えばいいところなのですが、それは、「~ したい」ではない別の場合に使うことになります 。

では、どうする?

前置詞を応用するのです。‘ t o ’ です。‘ to see ’ と言うのです。

なぜ? 理由は二つ。

① 前置詞は名詞の前に置かれるのでしたね。だから、「前置詞があれば、うしろを名詞のように考えてくれ」という宣言になります。名詞のように見れば、‘ to see ’ の‘ s e e ’ が「みるということ」の感じになりますね。

② 前置詞の‘ t o ’ は、「位置語」として「~ にまで( 進む)」という意味でした。「~ 」という場所は終着点( 目的地) です。

「~ したい」という気持ちは、「映画をみること」という終着点を見ているのです。それが目的なのです。

その二つにより、ボブのセリフはこうなります。
I want to see a movie.

この‘to see’ の「t o + 動詞」を一般に「不定詞」といいます。「不定」だから、何かに限定されていない、ということですよ。

何が限定されていないか?

 ‘ s e e ’ という行動をする人がだれかにかぎられてはいない( だから、言わない)、ということです。

だれの行動なのかを言わないので、‘ s e e ’ は、辞書の見出しと同じ「原形」です。

「親文」を取り仕切る動詞なら、現在のことについては< s形ルール> にしたがい、過去のことは過去形になりますね。「不定詞」として使うときの動詞は、そうはなりません。

一般の行動だけを見ているので、どんな場合でも、原形です。
日本語でも「みること」の「みる」は原形ですね。英語も同じです。

どんな動詞でも、「不定詞」であれば原形です。

たとえば、「ジョンは医者になりたがっている」とします。「医者という姿でいる」ことを「したがっている」のです。その「~の姿でいる」は‘ b e ’ 動詞でしたね。‘ b e ’ は‘ a r e , a m , i s ’の原形でした。だから、“ John wants to be a doctorです。

「医者になりたがっていた」という過去のことなら、‘ w a n t ’が「したがっていた」( w a n t e d ) になるだけです。
“ Tom wanted to be a doctor.”

「不定詞」は、「名詞」のように見てくれ、という宣言をしますが、‘ t o ’ のうしろはもともとは動詞ですから、「みる」なら「何をみる」のように「何を」をうしろに引きつれます。「みる」だけでは意味がわかりませんからね。

‘ b e ’ 動詞( * ) なら、「何だ( どうだ)」を引きつれてきます。

形は「名詞」のようでも、中身はしっかり動詞です。日本語の「みること」だって「名詞」扱いされますが、「映画をみること」のように、「何を」を引きつれるという動詞の働きは失っていませんね。それと同じです。



フレームで理解すれば不定詞も難しくない

上では、日本語を先にする形で英語のしくみを考えました。
逆にして、英語から見てみましょう。フレームの力を忘れないことですよ。
Every Sunday I go to Kanda to study Japanese.

これを聞いた人の頭はどう動きますか?

‘ e v e r y S u n d a y ’( 毎週日曜日に) → 「日曜がどうした? 」→ ‘ I ’ → 「日曜に私がどうした? 」→ ‘ g o ’( 行っている) →「どこに? 」→ ‘ to Kanda ’( 神田に) → 「何しに? 」

「行く」フレームだから、「どこに? 」「何しに? 」とつづくのが自然ですね。その「何しに? 」とは、「何かをすることのために」ということで、そこに‘ to study Japanese ’と来ました。

「日本語を勉強すること」です。これが「何しに」の欄に埋まるのだ、とだれでも思うでしょ? それ以外に考えようがありません。

フレームの威力で、‘ to study Japanese  ’ の役割が自然と決まっていきます。だから、上の文は、「毎週日曜日、私、日本語を勉強しに神田に行ってるんです」という意味になりますね。

途中に別のことばを入れてみましょうか。

次の文は、メアリーがはじめに言ったことです(‘ every Sunday ’ は略)。
I go to Kanda with my sister to study Japanese.

… … ‘ g o ’( 行っている) → 「どこに? 」→ ‘ to Kanda ’( 神田に) → 「何しに? 」→ ‘ with my sister ’( 妹と) → 「それで、妹と何しに? 」→ ‘to sutdy Japanese’

フレームは、ことばの入る欄の交通整理をするのでしたね。

「何しに? 」と待ちかまえているところに‘ with my sister’と来たら、これは「だれと? 」の欄だな、とフレームが整理してくれるわけです。まだ「何しに? 」欄が空白だから、つづく‘to sutdy Japanese’がそれを埋めるわけです。

フレームのそういう威力で、「子文」がさらに複雑になっても驚くことはありません。
I want to go to Japan to study Japanese.

‘ w a n t ’( ほしい、したい) → 「何を? 」→ ‘ to go ’( 行くこと) → 「どこに? 」→ ‘ to Japan’( 日本に) → 「何しに? 」→ ‘ to study ’( 勉強しに) → 「何を勉強しに? 」→‘ J a p a n e s e ’

不定詞が二つありました。‘ to go ’ と‘ to study’ です。でも、二つあろうと三つあろうと、気にしないことです。

「したい」と来れば「何を? 」、「行く」と来れば「どこに、何しに? 」、と聞きたくなります。フレームの自然に任せていればいいのです。

「不定詞」自体は、「~ すること」としか言っていません。

でも、それがどういうフレームの中にいるのかによって、どういう欄の役割をするのかは自然とわかるのです。いいかえると、自然とわかるから、「t o + 動詞」という形だけで済むのです。

いまの文のしくみを整理しておきます。

「したい」フレームが「親文」で、その「何を」欄が「行く」フレームでできている「子文」です。その「子文」の中に、「勉強する」フレームが入っています。「親文」から見れば、まるで「孫の文」( 略して「孫文」) です。

to不定詞を使った英文の構造

不定詞の形容詞的用法について

これも、メアリーが言いました。
I have a promise to meet my sister at Shinjuku station.

‘ I h a v e ’(私、もっている)→「何を? 」→‘ a p r o m i s e’( 約束) → 「約束があるって、どんな約束? 」→ ‘ to meet ’( 会うこと) → 「だれに会う? 」→ ‘ my sister ’( 妹に) → 「どこで? 」→at Shinjuku station ’( 新宿駅で)
注意:「妹に」は、「だれに」の欄だが、「会う」直接の相手なので「何を」欄と同じに扱います。‘ my sister ’ だけでいいのです。

‘ I have a promise ’で「約束がある」と言いました。「何が、する、何を」の欄が埋まってます。

この「もっている」フレームでは、これで話は終わり、ということもありますね。いちいち約束の中身を言ったり聞いたりしなくてもいいですよね。

でも、もし、この一文の中でことばをつづけるとしたら、何を言います? 「どんな約束? 」ということくらいですね。「だれとの約束? 」「いつ何をする約束? 」という内容です。

上の例では、「約束」のあとに‘ to meet ’( 会うこと) がつづきました。そうなれば、「だれかに会う約束」ですね。それ以外に考えようがありません。したがって、その文は「私、新宿駅で妹に会う約束がある」という意味になります。


この不定詞の部分‘ to meet ~ ’ も、「妹に会うこと」はだれでもできることなので、一般の行動と見ます。ただ、いままでの不定詞とは別の面で役割がちがいます。

これ以前の不定詞は、「親文」あるいは「子文」のフレームから生まれた欄を埋める役割でした。‘ I want to see~ ’は「したい」フレームの「何を」欄、‘ I go to Kanda to study?’ は「行く」フレームの「何しに」欄でした。

‘ I want to go to Japan to study?’なら、「子文」の「行く」フレームの中の「何しに」欄でした。

ところが、こちらは、「~ に会う約束」ですから、「約束」を説明するだけの役割です。‘ I have a promise ’の「もっている」フレームからは「約束」の説明欄は生まれてきません。「約束」ということばが出たから、「どんな約束? 」とつづいたのです。

ということは、いわば、「約束」という名詞が、その中身の説明をほしがって、自分独自の説明欄を設けた、ということになります。‘ to meet~ ’ の不定詞部分( 子文) から見れば、「親文」のフレームとは無関係に、「約束」とのあいだだけで、それを説明する契約をしたわけです。
不定詞の形容詞的用法

何かのもの( 人) を言うときに、それがどんなもの( 人) なのかの説明を加えるというのは、よくあることですね。

かんたんな例では、「大きな犬」「赤いリンゴ」などのように「犬」「リンゴ」に形容詞をつける場合です。

こういう場合は、‘ a dog ’ という「一般に『犬』といわれるもの」の「犬」が「一般に『大きな犬』といわれるもの」の「大きな犬」( a big dog ) に範囲が限定された、と見ました。だから、‘ a + big dog ’ でした。

「リンゴ」その他の例も同じです。

「約束」も、上の例では「一般に『約束』といわれることがら」のことなので、‘a promise  ’ です。それが、たとえば「軽い約束」のように限定されると、「軽い」( r a s h ) という形容詞を加えて‘ a rash promise ’ にします。

つまり、「どんな( 形容詞) + 名詞」の形です。

ところが、「約束」の説明に「子文」を使う場合は、しくみがちがってくるのです。

「名詞+ どんな( 子文)」の形で、名詞のうしろから「どんな? 」と言うのです。



なぜ不定詞は動詞の前でなく後ろにつくの?

「駅で妹に会う約束」も、「軽い約束」と同じく、「約束」の範囲を限定しています。それなら、‘ a rash promise ’ と同じ順でもよさそうに思えてきます。

ところが、そうやると、‘ a to meet my sister at Shinjuku station promise ’になってしまいます。次の二点で困ります。

ⅰ ) ‘ a ’ と‘ p r o m i s e ’ がとんでもなく離れてしまう。
「いわゆる~ というもの」の‘ a ’ がどこにつながっているのかがわからなくなる。

ⅱ ) ‘ to meet ~ ’ の「子文」がどこまでつづいているのかがわからなくなってしまう。
その「子文」と「約束」は直結していなくてはなりません。
遠く離れては、「どんな? 」の役に立ちません。

この問題をうまく処理するには、‘ a promise to meet ~ ’ 以外にありません。

「どんな? 」が名詞のうしろに来てしまいますが、「約束、妹に会うこと」と言い加えた、と見ればいいのです。「子文」を何かの名詞の説明欄として言う場合は、名詞のうしろにつけ加える、ということです。英語の知恵です。

次の文はどうでしょう。
I have no time to see a movie.

‘ n o ’ は「無( なし)」という意味です。「ゼロ」という正確な数をあらわしているのではありません。「空( からっぽ)」という感じです。

‘ no money ’ なら、「無のお金= サイフがからっぽ= お金なし」という意味です。日本語の「無一文」というところですね。十円くらいあっても、役に立つ金額から遠く離れていれば「無一文」ですね。

ここは‘ no time’ だから、「時間なし( 暇なし)」です。

そうすると、‘ I have ’ → 「何をもっている? 」→ ‘ no time ’→ 「時間がないって、何の時間? 」→ ‘ to see a movie ’ → 「映画をみる時間がない、ということか」

フレームの中を追いかけていけば、不定詞部分が‘ t i m e ’ を説明していることが自然とわかるようになっているのです。

メアリーが言った「映画をみる時間がない」が、この“ I have no time to see a movieです。



不定詞に関する練習問題

次の日本語を英語にしてください。
① 彼女は、歌手(singer)になることを望んでいる。

② 本を借りに図書館に行くとこだよ。(借りるborrow 図書館library)

③ ピアノを弾く人が必要なんだ。(人=person)

④ 何か食べるものがほしいな。(何かのものsomething )

⑤ 彼、8月10日に海に行く計画(plan)があるのよ。

⑥ 試合に勝って、うれしい。(勝つ=win)




解答と解説
① :「(彼女は)望んでいる」は‘ wishes ’にしておきましょ う。「(歌手に)なること」は「?の姿でいる(to be?)でし た。したがって、“ She wishes to be a singer

② :主語は‘ I ’ですね。「行くところ」は‘ am going’という現在進行形でした。「本」は何冊かわかりませんが、「数冊」 としましょうか。そうすると、「ポク、行くところ、図書館に、 何しに?」で、最後の部分は‘ to borrow some books ’ですね。
I am going to the library to borrow some books

③ :「私、必要とする(need )、ピアノを弾く人」です。この 「何を」の欄は、「どんな人」という説明欄つきの形です。「弾く」を「人」に直結させます。‘ a person to playです。 だから
I need a person to play the piano

④:③と同じしくみです。「何か食べるもの」は、「何かのも の、食べること」 =‘ something to eat ’です。
‘ to eat ’は「子文」でも、動詞一つだけです。それなら、‘ something ’の前に置いても離ればなれになりませんね。しかし、そうすると‘‘ I want to eat something.”になり、「何かを(いま)たべたいよ」と言っていることになってしまいます。

だから、‘ something to eat ’ なのです。
“ I want something to eat.”

⑤:これも「どんな?」です。「8月10日に」は‘ on?’ でしたね“He has a plan to go to the sea on August 10th.

⑥:Bパターンです。「私、うれしい」は‘ I am happy ’で す。「試合に勝って」は、「うれしい」と感じた原因ですね。これも不定詞でいいのです。
“ I am happy to win the game.”です(「試合に」だが、「試合を勝ち取る」で「何を」とします)。

この⑥は、「おや?」と思いますよね。不定詞に‘ to ’を使うのは、‘ to ’が「?目的地まで進む」感じだったからですよね。 これは、逆で、すでに「勝った」のです。過去のできごとです。

でも、二つの理由で、不定詞なのです。
(a )フレームの力はたいしたものです。‘ I ’ (私)?「私が どうした?」?‘ am happy ’ (うれしい)となると、次は「どうして?」と聞きたくなりますね。自然です。

そこに‘ to win the game ’が来れば、「どうして?」の答えだとわかります。

(b)この文が「あした試合に勝てればうれしいな」であって も、‘ to win?’の「子文」は同じです(ちがうのは、「うれしい」が未来である点です。)。
「試合に勝つこと」は、だれもが目的にする到達地点として 向こうにある、と見ます。あしたのことなら、そこにたどり着けば「うれしくなる」、いまそこに来たなら、実現して「うれしい」ということです。不定詞でいいのです。
I am happy to win the game.

日本語では「勝って」と過去のことのように言いますが、英語のこの表現は、あくまでも「勝つこと」を到達すべき地点と見ているのです。

だから、たとえば「あなたに会えてうれしい(glad)」 も、「あなたに会うこと」に向かっていて、いまそこに来たので“ I am glad to see youです(‘ to meet you ’ でもいい)。

これで、不定詞が使われる欄が次の四つになりました。英語 の例は、代表例です。「何を?」などの役割の点で、四つです。
I want 何を? I want to see a movie.
She goes to Kanda 何しに? .....to study Japanese.
I have a promise どんな? ..... a promise to meet Tom.
I am glad どうして? I am glad to see you.


このページの先頭へ