なぜ受動態と現在完了では同じ形の動詞を使うの?

「過去分詞」といえば、「?された姿で」の受け身で使われることばでしたよね。そうすると、ニつ、問題がでてきます。
(1) 「?された姿で」がなぜ現在完了に使われるのか?
(2) たとえば「行く」「来る」「寝る」などは、「?される」と いう受け身にはなりません(日英とも同じです)。その「過去分詞」とは、どういう意味をもつのか?


(1)たとえば、「自分の仕事はもう終わっているよ」「手紙はもう書き終わっている」と言うとします。これ、古い英語では “I have my work finished. ” “I have a letter written.” という形だったようです*。
*中尾,前掲書(p.124 )、松浪有(他)編「大修館英語学事典」(1994, p.178)、 Hugh E . Wilkinson, the How and Why of English,(木村建 夫,解注改訂新版「英語史入門」1999 KENKYUSHA p.96 )、などを 参照されたい。

「仕事」「手紙」から見れば、「終えられた姿」「書かれた姿」 なので、受け身です。

‘ finished ’ ‘ written ’という「過去分詞」 は、主語‘ I ’との関係ではなく、‘ my work ’‘ a letter ’との関係で使われていたのです。

つまり、自分によって何かされた姿のものを自分がもっている、という形で現在完了が言われていたわけです。

それが、英語の歴史の中で、“ I have finished my work.” “ I have written a letter.”の順で言う形が定着していった、ということです。
「終わらせた」「書いた」のは「私」です。したがって、主 語‘ I’の側に吸い寄せられた‘ finished’ ‘ written ’は、受け身の意味を失い、‘ have ’と連結して「もう?している」という完了の意味に変わっていった、というわけです。

注意
have (had) +何を+過去分詞’の形はいまも残っていて、他のだれかに何かをしてもらう (してもらった)、という意味などで使われています。たとえば、「その部屋を掃除してもらった」 = I had the room cleanedのように(掃除 するclean 、過去分詞[-d ])。

‘ have ’といっしよになった「過去分詞」は、受け身の「? された姿で」という過去風の面だけを引きついで、「すでに完了した姿」というような意味へ変身するのです。いわば「完了分詞」とでも呼べるような役割、といえます。

同じ語が「受け身」であったり「完了」であったり、というのはややこしいことですが、歴史の産物だから、がまん。

(2)受け身になりようがない「行く」「来る」「寝る」などの 「過去分詞」は、もともとは‘ be ’動詞といっしよになって現在完了をあらわしていました。

つまり、もとから「完了分詞」の性格だったのです。それが、 歴史の中で、‘ have ’といっしよになる形のほうへ流れていった、というわけです。

それでも、たとえば‘‘ He is gone.”(彼はもういない=どこかへ行ってしまっている)などの表現がいまでも使われることがあります。

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